安部元総理の訃報に触れて、ソーシャルメディア投稿について考えること

昨日、安部元総理が奈良県で演説中に銃撃され、午後5時には病院で亡くなったことが確認されました。とてもショックを受け、悲しく思いました。

私は安部さんの政治や思想に、あまり首肯できない立場の人間でした。しかし、それでもこれほどショックを受け、悲しいと感じたニュースは、23年間の人生でほかにありません。

毀誉褒貶のある方ではありましたが、これは政治的・思想的な立場を超えて、人として悲しみを感じる出来事でした。

謹んで、お悔やみ申し上げます。

 

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そのうえで、私は安倍さんが亡くなったことに纏わるSNS(ソーシャルネットワークサービス)上で流布/主張された極端な言説と、テレビでの事件の報道の在り方について考えたいと思っています。

 

箇条書き的になりますが、どうか読んでいただければと思います。

ただ、誰にとってもショックの大きい事件ですので、心に負担がかかると思った方は、途中でブラウザバックしてくださいませ。

 

 

 

〇山上容疑者が元海上自衛隊であったことは報道すべきだったか?

一つ目に考えたいことは、「山上徹也容疑者が、元海上自衛隊員であったことは報道すべきだったか」という問題です。

山上容疑者が元海上自衛隊員であったことは、報道されるべきではなかったと私は思っています。

山上容疑者が海上自衛隊員であるということを受けて、「容疑者は自衛隊勤務時に自作銃の作り方を学んだのでは?」「なぜ基本的に保守的な立場であるはずの自衛隊員出身者が、元総理を銃撃するのか?」「容疑者は反日教育をその後どこかで受けたのではないか」などと、

様々な、全く根拠のない憶測がネット上で飛び交いました。

 

尤も、元海上自衛隊員であることが報道されなかったとしても、ある程度の憶測は飛び交ったと思います。加えて、殺人事件が起こったときに犯人の思想や信条について、落ち着いて検証するというのは大切なことです。

しかし、その検証はあくまでも「落ち着いて検証」ができる時間と情報リソース、職業的使命を持っている人間(警察、公安、報道機関の者)に限るべきではないかと思います。つまり、本来こういう情報は私たち一般市民には開示せず、少なくとも1年ほどの猶予期間は持たせるべきではないかと思うのです(1)。

私たちは重大な殺人事件が起こったときに、事件の犯人と自分の間には心理的な距離、共感しえない溝があると思いたがります。そして、過度に事件の犯人の生い立ちや環境に殺人犯になった理由を求めがちです(2)。よく殺人事件などで犯人は「無職」であるとか、「自称○○業」であると報道されることがあります。

実際、そのようなステータスにある人が殺人事件を起こしやすい傾向があるにはありますが、それを大々的に報道するのは、情報を収集す術も、時間も職業的使命もない素人の憶測を生み出すことになるので、やめるべきではないかと思うのです。

 

 

 

 

〇今回の銃撃と選挙とのかかわりついて、私たちはどう考えるべきか

昨夜、政治家の小沢一郎氏が次のようなツイートをし、炎上しました。

 

www.sankei.com

曰く、安倍総理が亡くなったことは選挙において自民党に同情票があつまるという意味で有利に作用するという主張です。

これを受けて、ネット上で多くの人が小沢氏の主張には怒りを表明しました。そして、私自身も、ツイートなどはしませんでしたが怒りを憶えずにはいられませんでした。

人が一人亡くなったのだから、せめてもう少し慎重に、言葉を選んで発言できないのでしょうか。

 

ただ、ここで落ち着いて考えたいことがあります。歴史上の様々な選挙を分析するに、党のリーダー、あるいは影響力を持った人間が殺害ないしは重大な事故に見舞われた後の選挙では、その被害者の属する党に同情票が集まることは科学的に証明されているということです(3)。小沢氏の主張は科学的には間違いではないということです

(これは多くの人が感情的に反感を覚えることであると思います。除光エキの言っていることが間違いだろうと思う方は、参考文献(3)を読んでください)。

 

では、小沢氏はどう発信すればよかったのでしょうか。

 

「私たちはその歴史から学び、政治リーダーの悲劇と政治は分けて考えていこう」と、前向きに発信すればよかったのではと思います。

 

安倍氏のこの災難は、むしろ自民党に有利に作用するかもしれない」という言葉で、しかも岩手県の街頭演説で述べるべきだったでしょうか。私はそうは思いません。

 

他にも極左の人間から発されたもので、「今回の選挙は安部元総理への弔い合戦になる」だとか、「日本人は感情的だから今回の事件を受けて、自民党に入れてしまう」だとかの言説が蔓延りました。「○○人は○○的」という言説の多くは、極右の人間から発される言葉も含めて根拠のないデマゴギーなので、真に受けないようにしたいところです。

 

なぜ、人の死と政治を分けて考えようと、前向きな言葉で発信することができないのでしょうか。

 

私自身も感情が昂って散文的になってしまいすみませんが、極右の人間から発された言葉で、本当に弔い合戦にしようという趣旨のツイートも見かけました。

 

 

全く持ってふざけた言葉だと思います。

感情に訴えかけて、無理矢理バズを生み出したいだけの言説なので、読者の方はこのようなツイートを真に受けないでください。

安倍総理を弔いたい気持ちは分かりますが、そのように「殉死」として今回の安倍元総理の死をとらえるのは、安倍総理へのきわめて下劣な侮辱に他なりません。

 

 

〇他の論点

他にも様々な論点がありますが、時間が無くなってしまったので、ここでは箇条書き的にほかの論点と私の主張を述べておきたく思います。

 

・SPの警護が手薄だったと非難されるべきか?⇒非難されるべきではない。容疑者は確保されるまでずっと冷静な様子で、事件を起こそうなどとは誰も思えなかったことが報道から読み取れる。

・事件の場に居合わせた方の顔を出してインタビューをして良いのか⇒すべきではない。「条件反射」といって、極度の緊張状態に置かれた人間は笑ったような顔になってしまうことがあるが、これでインタビューを受けた若い子たちが非難されることなどあってはならない。

・「散弾銃」という表現も、本来は使うべきではない。本業で散弾銃を持っている人への非難に繋がりかねない。あくまでも「自作銃」という表現にとどめるべきである。

・報道機関は「3Dプリント事業」をやっている会社に安易に取材すべきではない。そもそも今回の事件はホームセンターなどで取り揃えられるパイプや発火装置などを使ったものであるため、3dプリント事業者に電話取材を試みるのは、情報収集の努力不足も甚だしい。(だからといって、ホームセンターに取材するのもお門違いだが)

・奈良医大へのクレームやは即刻辞めるべきであり、奈良医大での手術に当たった医者の方への取材は、社会紙や政治紙のド素人の記者ではなく、医療に詳しい記者に任せるべきである。これは本庶佑さんがノーベル賞を受賞し、社会紙の素人記者が取材にあたって本庶さんを怒らせていた時にも感じたことだが、政治や社会の文脈であるからと言って、その筋の記者が取材をするのは必ずしも適切ではない。

 

 

 

 

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(1)これは殺人事件の犯人の思想や政治信条についての話です。これと別に、殺人事件において亡くなるまでの過程については、誰が見ても解釈が一致するところですので、一般市民に情報が開示されても問題はないと私は考えます。

(2)エイミー・C・エドモンドソン『恐れのない組織――「心理的安全性」が学習・イノベーション・成長をもたらす』  2021/2/3,

綿野恵太『みんな政治でバカになる』2021/9/28.

(3)井出英策ほか『大人のための社会科』2017,佐々木毅『現代アメリカの保守派』1993.