僕がゲーム実況をしているときにいつも考えていること

僕はどんな時でも二項対立を欲しがった。戦うこと、競うことを思い切り楽しんでから、脱構築主義者みたいに二項対立そのものをずらしていく作業が好きだ。——槙島聖護

 

私はYouTubeでゲーム実況動画を投稿する、いわゆる「配信者」として活動している。そこではあんさんぶるスターズ!!という、可愛くもカッコよくもある男の子のアイドルたちが出てくるゲームをプレイすることが多い。

 

以前、一人の視聴者の方から「除光エキ(私のユーザーネーム)さんはふだん配信をされている時に、どんなことを考えているんですか?」と聞かれたことがあった。そこで、今回は私がゲーム実況をしている際に、頭の中でどんなことを考えているのかを詳述したい。

 

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除光エキがゲーム実況をしているときに考えていることは、主に「娯楽としてのエロティックな言説はどこまでが許容され、どの程度常識的なユーモアを脱構築することができるのか?」——そして「YouTubeにおいて社会的に構築されてきた笑いのセンスを、どの程度一人の人間が解体できるのか?」ということに尽きる。

 

少し難しいことを言ってしまったので、まずはここで使われている「構築」「脱構築」という言葉の意味について説明したい。

 

「構築」とは、ここでは構築主義のことを指している。構築主義とは、「現実に存在していると考えられる対象や現象は、客観的もしくは物理的に存在しているのではなく、人々の認識によって社会的に構築されていると考える社会学の理論的立場」のことである¹。たとえば、好意を寄せる相手をつけまわす行為を「純愛」として人々が認識していれば問題にならないが、それを問題視する人や団体がクレームを申し立て、そのクレームによって人々が「問題だ」と認識することで「ストーカー」が社会問題として構築される²。

 

YouTubeの笑いというのは、常に人気なクリエイターが社会的に構築してきたものであり、率直に言って私はあの手のユーモアが好きではなかった。分かりやすい笑いには面白さがなく冗長で、30秒のショート動画にすら辟易してしまうほどだった。

 

そこで私は考えた。この一見堅牢に見える「YouTubeの笑い」を、社会的規範から少しずつ逸脱しつつ解体することはできないか、と。

 

例えばそれには、音声を中心にして構成される文字列の優位性、ロゴス中心主義、男根中心主義を、その反対に位置するものでアウフヘーベンするのではなく、むしろ社会的規範事態を解体しようとしたジャック・デリダ精神科医ラカンの知的営為がヒントになる。二項対立の階層秩序を打破し、ずらし、差異を生み出し続けることで、YouTubeの浅薄な笑いは何の意味も持たなくなるのではないか?それができた時に、YouTubeはプラットフォームの終わりを迎える。ビッグテックを解体し、インターネット2.0の勇士たちが夢見た民主主義を、実現することができるのである。東浩紀、お前もこれがやりたかったんだろう?

 

では、YouTube社会的に受け入れられているユーモアとは何なのだろうか?端的にいえば、わかりやすく、陽キャ的で、短い時間で完結する、難しい言葉は使わないなどである。ではこの笑いを解体するにはどうしたらいいか?

 

単純にこれらの要素の逆を全て取り入れるのでは、人気も出ない。

 

そう思った私はどうしたかというと、陽キャ的要素と陰キャ的要素を取り入れたり、取り入れなかったりした。そうすることで、視聴者は私という人間の実態をつかみ損ねる。しかし、そこにはある意味でのユーモアだけが浮遊する。沈殿していく。視聴者が勝手に私の意図を測って、陽キャ陰キャ、わかりやすい笑いとわかりにくい笑いの水溶液をかき混ぜてくれる。

 

この水溶液に、100万人のチャンネル登録者数がついたときが、YouTubeと人気YouTuber、お前たちの最期だ。

 

首を洗って待っておけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この記事に書かれていることは全てが冗談と嘘であり、本当はゲーム実況をしているときは「おちんちん」としか考えていないのである。

 

【参考文献】

1.平 英美『構築主義社会学実在論争を超えて』

2.コトバンク構築主義 こうちくしゅぎ」